2015年3月2日月曜日

ホイクホンシツ会議をはじめた理由。

ホイクホンシツ会議、はじめました。


始めた理由。
保育の研修や講座、たくさんありますね。
私も、園内研修、都や区、私団体などの主催のものに参加したことがあります。
そんな中、気になっていたこと。


1つめは「なぜそれをするか」を説明してくれる講座、講師の方が少ないこと。

ハウツーやノウハウを教えてくれるものも多く、それを無疑問に実行すれば良い保育が実現できると言わんばかりの姿勢の研修にも出会いました。
たとえば、「紙芝居のいい読み方」は教えてもらえても、「そもそもナゼ紙芝居という手法を取るのか」「紙芝居で得られる効果は他の手段では得られないものなのか」そういったことを考えられる場が少ないと感じていました。

「紙芝居が素晴らしい!」というような論調の研修では得られない物があるのではないか・・・。

2つめは、自分がそれに対して考える余地がない講座が多いこと。

インプットばかりで、アウトプットのタイミングがないものが極端に多いのです。また、アウトプットの時間あってもそれがうまく回らないものも多数見かけてきました。

学ぼうという意欲を持った人たちの集団を目の前に、横のつながりを重視するチャンスを1つも与えられない講座のあり方に直面すると「もったいないなぁ」と思ったりもします。
知識を与えてもらった後に、それを自分の中で整理して、消化・昇華するそのプロセスに他者の意見も入ると対象の理解も自己理解も深まりますのでそのような時間を大切にしていきたいと考えています。


追加して小さな3つめは、「保育者自身が楽しもう!」というハウツーワークショップの多さに少々驚いていることがあります。

子どもがやることを大人もやって同じく楽しむというものですが、「大人の楽しみと子どもの楽しみは一緒なのか」「自分がナゼそれを楽しいと思うのか」「子どもはナゼそれを楽しいと思うのか」「そもそも、楽しいと何がいいのか?楽しければいいのか?」
そういうことを考えさせてもらえるのでしょうか。


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こういう思考に至ったのには私個人のバックグランドが関係しているかもしれません。
日本での保育もしていますが、アメリカでの保育経験も長い私は日米の比較をしながら考える癖がついてしまったようです。
比較をして良い悪いを決めるのではなく、「なんでアメリカでは(日本では)これがないのか」とか「日本ではこの玩具がいつもあるけれどアメリカにはない。その点をアメリカではどういった手法で埋めているのだろうか?」というように考えることがあります。
「なぜこれをするんだろう」と考えることが多いです。


日本では麦茶をよく飲みますが(麦茶「信仰」に近い!?)アメリカでは基本的に麦茶は飲みません。それでも不健康にはなりません。
一度、日本の保育園の会議で「なんで年中無休で麦茶じゃなきゃダメなんですかー?」と帰国してすぐの私は無邪気に質問したことがありました。会議は「シーン」、となり、「考えたことなかったけど昔からそうなの・・・多分ミネラルが、、、?水よりいいらしい。」というような返答をなんとか頂いたのを覚えています。
この一件の後にも様々な理由のはっきりしない「昔からこうだから」に出会い、「ちょっとこれはまずいのではないか?」と考えるようになり今に至ります。


「これがあたりまえ」を一旦崩せる姿勢を持っていないと大切なコトを見落とす。
新しい世代、研究が出てくれば新しい保育が構築されて当たり前です。
成功体験、非失敗経験に引きずられていてはいけない。


「破壊と創造と破壊と創造」


想像と破壊を螺旋状に行いたいと思っています。


保育を進化させる目標とともに、「考える練習」をして参加者の皆様とともに社会に参画する者としての使命を果たせる人材の養成の一助にもつながればと考えています。



2015.3.2

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